2026年7月28日、中央最低賃金審議会が2026年度の最低賃金引き上げの「目安」を55円とすることを決めた。3年連続で50円を超える引き上げ幅となり、全国加重平均は1,200円台に乗る見込みだ。この目安をもとに8月中に都道府県ごとの地域別最低賃金審議会が実際の引き上げ額を決定し、10月1日から順次新しい最低賃金が発効する。
数字だけ見れば「また上がるのか」で終わりそうなニュースだが、中小企業の現場にとっては人件費という固定費の増加が待ったなしで迫ってくる話でもある。今回の決定の中身と、なぜ多くの中小企業が「価格転嫁が進まない」と訴えているのかを整理する。
最低賃金とは何か、今回何が決まったのか
最低賃金は、都道府県ごとに定められた「これを下回る時給で人を雇ってはいけない」という法定の下限額のことだ。毎年、厚生労働大臣の諮問機関である中央最低賃金審議会が全国的な引き上げ目安(Aランク〜Cランクなど地域区分ごとの金額)を示し、それを受けて各都道府県の地方最低賃金審議会が実際の引き上げ額を決定する2段階の仕組みになっている。
今年の目安審議は難航した。労働者側は、過去最大だった前年度(2025年度)の目安63円を上回る75円の引き上げを求めていた。一方、使用者側は中東情勢に伴う原材料費高騰で中小企業の経営環境が悪化しているとして、支払い能力を慎重に見極めるべきだと主張し、5回の小委員会を経て7月28日にようやく55円で決着した。3年連続の50円超という水準は維持されたが、労働者側の要求からは20円下振れした形だ。
ここで注意したいのは、7月28日に決まったのはあくまで全国的な「目安」であり、実際に各地域でいくら上がるかは8月の地方審議会の結果を待つ必要があるという点だ。目安を上回る決定をする地域もあれば、目安どおりで着地する地域もある。10月1日の発効まで、まだ確定していない要素が残っている。
ここ数年の上昇ペースを数字で振り返る
今回の55円という数字が大きいのか小さいのか、直近の推移と並べてみると輪郭がはっきりする。全国加重平均で見ると、2023年度は1,004円(前年度961円から+43円、上昇率4.5%)、2024年度は1,055円、2025年度は1,121円(+66円)だった。2025年度の66円という上げ幅は、1978年度に目安制度が始まって以降で最大の伸びだったと報じられている。
つまり中小企業は、ここ3年で「過去最大」の引き上げを2回経験している最中に、2026年度も3年連続で50円を超える引き上げを受け止めることになる。1年だけなら吸収できても、同じペースが3年続けば固定費としての人件費水準そのものが底上げされ続けている状態だ。地域によっては、8月の審議で目安を上回る決定が出れば、全国加重平均が1,200円台に乗るとの見方も報じられている。
なぜ中小企業では価格転嫁が進まないのか
最低賃金が上がること自体は、人手不足が続くなかである程度織り込んでいた経営者も多いだろう。問題は、上がった人件費分をきちんと商品・サービスの価格に反映できているかどうかだ。
日本商工会議所の調査では、コスト増加分の価格転嫁について「ほとんどできていない」「していない」との回答が合わせて48.4%にのぼったと報じられている。原材料費や人件費は上がっているのに、それを取引価格に乗せられない企業がほぼ半数に達しているということだ。
賃上げそのものの水準にも、企業規模による差が表れている。2026年の春闘では、中小企業の賃上げ率は4.69%にとどまり、連合が目標として掲げた「6%以上」には届かなかった。大手企業と中小企業の賃上げ格差は依然として埋まっていない。
背景には、原材料価格の上昇と人手不足による人件費高騰という2つのコスト増加要因が同時に進んでいる事情がある。仕入れ先や取引先との力関係上、価格交渉を切り出しにくい中小企業ほど、このしわ寄せを自社の利益で吸収せざるを得ない構図になりやすい。
とりわけ影響が大きいのは、人件費比率が高く、かつ販売価格を自社だけでは決めにくい業種だ。小売業や飲食業はパート・アルバイト比率が高く時給の底上げが人件費全体に直結しやすい一方、価格改定は消費者の反応を見ながら慎重に進める必要がある。運送業や介護業も人手不足が慢性化しているうえに、運賃・介護報酬という公的な枠組みに価格が縛られている面があり、コスト増をそのまま転嫁しにくい構造を抱えている。
現場で何をすべきか
10月1日の発効に向けて、経営者が確認しておくべきことは大きく4つある。
1つ目は、自社の従業員のうち、新しい最低賃金額を下回る時給で働いている人がいないかの確認だ。特にパート・アルバイトの時給は、地域別最低賃金の直近の水準ぎりぎりに設定されていることが多く、見落としがちなポイントになる。シフトや雇用形態が複雑な現場ほど、誰がいくらの時給で働いているかを把握しづらいという課題も重なりやすい。
2つ目は、人件費上昇分を織り込んだ価格改定の準備だ。取引先との価格交渉は、決定してから慌てて動くのではなく、8月に地域別最低賃金が確定した段階でどの程度のコスト増になるかを試算し、早めに交渉のテーブルに乗せたほうが通りやすい。人件費増加分を時給換算・月額換算で具体的な数字にし、見積書や提示価格に反映する作業まで含めて準備しておくと、相手にも検討してもらいやすくなる。得意先ごとに単価や取引条件が異なる企業では、価格改定を個別に反映する手間そのものが交渉のボトルネックになることもある。
3つ目は、2026年10月には社会保険の適用拡大(従業員51人以上の企業を対象に、月収要件を撤廃し週20時間以上働くパート・アルバイトへの加入義務を拡大する改正)も同時に控えているという点だ。対象となる企業規模はまだ限定的だが、最低賃金の引き上げと時期が重なることで、人件費まわりのコスト増が集中するタイミングになる。
4つ目は、採用競争力への影響だ。最低賃金の引き上げは近隣の同業他社も同時に行うため、自社だけ時給を据え置くと採用市場での見劣りが目立ちやすくなる。人手不足が続く業種ほど、引き上げ後の時給水準が周辺の求人相場に対してどの位置にあるかも合わせて確認しておきたい。
最低賃金はどうやって決まるのか(補足)
最低賃金の決定プロセスについて、よくある疑問を整理しておく。
最低賃金には、都道府県ごとに定められる「地域別最低賃金」と、特定の産業に定められる「特定最低賃金」の2種類がある。日々のニュースで取り上げられるのは主に地域別最低賃金で、業種を問わずその地域で働くすべての労働者に適用される下限額だ。都道府県は経済実態に応じてA〜Cのようなランクに区分されており、目安審議会が示す引き上げ額もランクごとに異なる。
違反した場合はどうなるか。最低賃金額を下回る賃金しか支払わない事業主には、最低賃金法により罰則(50万円以下の罰金)が定められている。「知らなかった」では済まされないため、10月の発効日までに社内の給与体系を点検しておく必要がある。
人件費や原価の増加分を正確に把握できていないと、価格交渉の場でも「どれだけ上げてほしいのか」を具体的に示せず、交渉が進まないという声も現場では聞かれる。人件費の変動を都度手作業のExcelで追いかけている企業ほど、こうした試算に時間がかかりがちだ。